ปลาทูの雑感・備忘録

バンコク在住のปลาทู(Platoo)と申します。時々、シェアさせていただきたいこと、記録したいことがある場合などに書き込む感じかと思いますが、よろしくお願いいたします―。

ปลาทูの雑感・備忘録

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タワンデーン ジャーマンブリュワリー(Tawandang German Brewery・โรงเบียร์เยอรมันตะวันแดง)の創業者、スポット・ティーラワタナチャイは不屈の男

バンコク在住者、バンコクに来た旅行者に大変人気のある、店内で醸造した地ビールが飲めるレストラン、タワンデーン ジャーマンブリュワリー(Tawandang German Brewery、タイ語でโรงเบียร์เยอรมันตะวันแดง ローンビアヨラマンタワンデーン)についてご存知の方は多いと思います。1999年に創設され、2019年に20周年を迎えました。20周年を記念して出版された、創業者であり、最高経営責任者のスポット・ティーラワタナチャイ氏(สุพจน์ ธีระวัฒนชัย)の半生記『เมื่อความจนเฆี่ยนตีผม』(ムアクワームジョンキイアンティーポム:貧困が私を鞭打つ時)を読んでみましたので、タワンデーン ジャーマンブリュワリーについて、該当の本で記されていた内容を基に、紹介がてらに書いてみたいと思います。

f:id:jjplatoo:20200513164728j:imageタワンデーンジャーマンブリュワリー(Tawandang German Brewery・โรงเบียร์เยอรมันตะวันแดง)について

小さな規模でビールを生産するビール工場、ビール醸造所の事をMicrobreweryと呼びますが、タワンデーンジャーマンブリュワリーは、タイ発祥の初のMicrobreweryです。初期投資額は40,000,000バーツにて、第一号店はラーマ3世通り店で、1999年9月10日にオープンしました。2005年にラムイントラ店、2015年チェーンワッタナー店もオープンさせ、現在は、ラーマ3世通り本店、ラムイントラ店、チェーンワッタナー店の計3店舗が営業してます。3店舗合わせて5000席以上の面積があります。また、全3店舗のビールの販売量は、合わせて年間、約900000リットルになります。単純計算すると、ビール1リットル=グラス2杯として、0.5リットルサイズの販売だと、900000リットルは、年間1800000杯、もしくは平均1日5000杯の販売になります。

創業者スポット・ティーラワタナチャイ氏(สุพจน์ ธีระวัฒนชัย)とタワンデーンジャーマンブリュワリー(Tawandang German Brewery・โรงเบียร์เยอรมันตะวันแดง)の開店までの歩み

幼少期~大学卒業

スポット・ティーラワタナチャイ氏は、潮州系華僑の両親の長男として生まれました。兄弟は全員で五人、父は金属プレス工であり、母はお菓子を売ってました。暮らしぶりは、当時の中間層であるも、裕福ではなく、両親は子供5人全員を私立の学校で学ばせる為に、必死で働いており、家計の為に子供達全員も家業を手伝い、両親を助けました。ティーラワタナチャイ氏は子供の頃から、自身は長男であり、兄弟を導かなければならないリーダーである事を感じていたといいます。

ティーラワタナチャイ氏は、小学校での勉強が終わると、家の前での母のお菓子売りを手伝い、小学4年生の学期が終了した、10歳の頃に、母からお金を借りるとともに、商売を考え始めます。市場でボトル入りソフトドリンクを仕入れ、氷を入れたカップに注いで、市場の人に小売りしたら、何倍もの利益を得た事を皮切りにして、家の前で売る品物のアイテムを増やす為に、朝早く起きて様々な商品を市場に仕入れに行き、よろず屋の様な感じで、家の前で売り、麺が一皿2バーツであった時代に、6000-7000バーツの儲けを手にするまでになったとのこと。

 1972年、ティーラワタナチャイ氏が小学5年生になった頃、引っ越しすると、母は古新聞を購入し、折りたたみ紙袋を売ることを考え付き、子供達5人に紙を折ったり、のりを塗る事などを手伝わさせました。また、ティーラワタナチャイ氏は、後の大きなレストラン経営の基礎となるとは知らずに、母を手伝う為に市場に付いて行った際には、生鮮食品の選び方を覚えるとともに、母から料理の作り方も習いました。

ティーラワタナチャイ氏が13歳になった1975年に両親が離婚します。子供達は、母について行くことになり、引っ越ししました。母は結婚前に織物工をしていた事から、Tシャツを作ることで生計を立てることにします。

最初の2年は、バンコク外の他県の商店に販売している中間業者の注文に対して、服を製造して納めてましたが、納品後に直ぐに品物代金を回収せず、後払いをさせてたところ、結局業者が代金を支払わなかったり、それに対抗する知識もなく上手くいきませんでした。この件は、ティーラワタナチャイ氏に現金回収の重要性と信用もしくは後払いの理解を促すとともに、中間業者嫌いにさせました。

その後、ティーラワタナチャイ氏は、母の知人の誘いで、ある地区の役所の前の広場で服を売ることにし、服を売るだけでなく、靴も仕入れて販売し、行きかう人々の興味を引き付けるのに工夫をして商売をしました。

しばらくして、母は当時タイで一番大きな衣類卸売市場であったボーベー市場で卸売りを始め、少ない利益でしたが、商品を出荷、生産することが出来るので、家族に大変やる気を出させ、朝から夜まで兄弟皆が協力し、Tシャツとジャージを生産しました。

青年になったティーラワタナチャイ氏は、タマサート大学の社会科学・人間科学部に入学します。大学に入学するまでの10年間、服の製造、ボーベー市場への搬送などにおいて、母を手伝ってましたが、大学入学後はクラブ活動をすることになり、ほぼ毎日帰宅が遅かったも、仕事内容を調整して、大学在学中も家業を引き続き手伝いました。

ティーラワタナチャイ氏は、大学で文化、舞台のクラブ活動に参加し、資金集め、舞台の監督、クラブ部長の役目を負い、クラブ活動に参加することにより、他人と一緒に仕事をする事、協力する事を学び、意見の交換などの様々な機会を持つとともに、国の情報、政治学習、経済などのニュースなどに触れ、社会平等の重要性について考えを深めます。大学在学中に、政府の金融政策の影響で、ボーベー市場の半分以上の商店が倒産し、家業も大きな損害を被りましたが、何とかやり繰りするとともに、ティーラワタナチャイ氏は、タマサート大学を卒業することが出来ました。

大学卒業後~オリジナルTシャツブランドの立ち上げ・成功・倒産

大学卒業後、ティーラワタナチャイ氏は、10年以上携わった家業に飽きて、新しい経験をしたく、百貨店の仕事に応募します。2回の面接を通過し、最後の面接に出かける際、革靴が見つからないという、アクシデント?に見舞われ、結局最終面接に行きませんでした。この百貨店の仕事への応募は、人生の中で他人に雇われることを考えた、最初で最後でもありました。その後しばらくぶらぶらしていると、多くの先輩が氏に自分が熟練している事で仕事をしたらと勧めてくれ、一番熟練しているのは、10年も携わっていたTシャツ事業であることから、自身のオリジナルブランド” YAM AND YIM ”のTシャツ事業の立ち上げ・起業を決心します。(因みに、タイ人の妻は、その昔大ヒットした、” YAM AND YIM ”のTシャツをよく知っており、タワンデーン ジャーマンブリュワリーの創業者が、” YAM AND YIM ”の事業主でもあった事を知ると、驚いてました。)

 販売を開始するまでの6ヶ月間、王宮前から移転したばかりの当時のチャトチャック市場で市場調査を行い、チャトチャック市場で店舗敷地を借り、1987年の8月に開店します。販売は順調で、チャトチャック市場でTシャツを販売してから7ヶ月後、店舗敷地を買い取り、自分自身の店舗を持つようになりました。家業であったボーベー市場の中間業者への卸売りは、自身の店舗を持たない事業でしたが、自分自身の店舗を持つという小売事業への前進でもありました。

着心地が良く、しゃれたデザインで、値段も高くなく、学生の間で人気となり、” YAM AND YIM ”は、急速に成功し、1987年にチャトチャック市場で店を開いたのを皮切りに、1988年にサイアムスクエアで、1989年にタープラのザ・モールで開店します。その当時は、ビジネスが順風満帆で生産量が需要に追い付かず、30歳に満たない事業家にとって、多くの収入がある、黄金の時期でありました。

テーパラック通りという所に小さな工場を持っている知人がおり、ティーラワタナチャイ氏は、服の生産の規模を拡大し、裁縫機械50台を設置する為に、費用の詳しい査定をせず、その小さな工場を買う事を決心します。その時、運転資金がいくらあるかなどを全然気にしておらず、生産が間に合わないから、工場を拡大する必要があると簡単に考えてました。しかし、1992年に実家の工場から、テーパラック通りの工場に移った時、腕のいい多くの裁縫職人が、新しい工場へは、遠くて通勤出来ないため、辞めてしまい、一緒に仕事が出来なくなります。新しい工場付近では腕のいい職人を探すことは難しい上、生産量を増やす為、多くの人を雇わなければならず、結果的に百貨店での小売り市場に足を踏み入れることになり、百貨店での小売り市場をターゲットにするようになります。しかし、百貨店の販売システムにおいて、商品のマージンは、物凄く低く、商品がワゴンセールに取り入れられ、割引商品と同じ扱いにされたり、洒落たYAM AND YIMのイメージは地に落ちます。大きな工場に移転したも販売量は落ちるのみとなり、百貨店の販売システムに足を踏み入れた事は、大きな赤字・莫大な借金をもたらした。当時、ティーラワタナチャイ氏は商売において、感覚で判断し、数値・データに重点を置いておらず、会計および貸借対照表の知識も無く、コスト管理が出来てなかった為、新しい工場は2年で行き詰り、” YAM AND YIM ”のTシャツ事業は幕を閉じ、市場から姿を消しました。

借金・負債の返済と不動産ビジネス・アジア通貨危機

ティーラワタナチャイ氏は、” YAM AND YIM ”のTシャツ事業の借金・負債を清算するために、資産、土地を全部売り払い、親戚の助けもあり、清算を3年でクリアします。

その清算を行っている時期に、ティーラワタナチャイ氏の工場の向かい側の釘の工場の所有者であり、後のタワンデーン ジャーマンブリュワリーの共同出資者・事業パートナーとなる、サティアン・セータシット氏(เสถียร เศรษฐสิทธิ์)と知り合います。

当時、集合住宅販売プロジェクトの不動産事業を進めていたセータシット氏は、スポット氏が債務問題に直面しているの知ると、集合住宅事業を一緒に投資して働こうと誘い・説得します。

該当プロジェクトは完売、彼等の不動産ビジネスは好調に滑り出し、スポット氏は購買部門と営業チームの管理の責任者に任命され、新たにタウンハイツ販売プロジェクトも立上げます。しかし、1997年の7月にトムヤムクン危機と呼ばれたタイを中心に始まったアジア通貨危機・バブル経済崩壊が起こり、タイの不動産ビジネスも大打撃を受け、彼等のプロジェクトも打撃を受けて、損失をカバーする為の対応・処理に追われます。

タワンデーン ジャーマンブリュワリーのアイデア・原点

バブル経済が崩壊し、不動産ビジネスの金融機関に対する債務問題などの対応に追われている中のある日、ティーラワタナチャイ氏は、当時バンコクのスクンビット通りのソイ24にあった、有名な生ビールの店Paulanerに行く機会がありました。その店は、高級な西洋料理を提供するとともに、Microbreweryとして生ビール醸造を行っていた、タイで最初の店でした。

(※ Paulanerは世界的に有名なドイツ・ミュンヘンのビール会社 

   Paulanerのタイのエージェント https://www.paulaner-thailand.com/

普段は、ビールを飲むのは好きでないティーラワタナチャイ氏でしたが、他の一般ビアガーデンで売られている様なビールではなく、二つの銅のタンクから、醸造されたドイツ生ビールを飲んだのは、その日が初めてであり、非常に美味しく感じたのでした。同時に生ビールを飲んでいる際、ティーラワタナチャイ氏は、市場に出回っている瓶ビールは、630㏄に付き、1本60~70バーツであるも、何故、この生ビールは500㏄に付き1杯150バーツもするのかと事業家目線で考えました。

それ以降、バンコク中心部に行く機会があれば、いつもPaulanerに寄り、生ビールを飲み、セータシット氏も誘って行くようになります。二人で行って、一人2杯のビールと料理1皿を頼むと、1000バーツ強かかりました。当時としては、非常に高い価格であったという事と、ティーラワタナチャイ氏自身が西洋料理を好きでなかったのもあり、Paulanerに行く時は、いつも他の店で腹を満たしてから行きました。そして、二人は、何故、Paulanerはタイ料理を売らないのかと話し合い、本格的ドイツ生ビールが1杯100バーツ、普通の人や中間層の人が支払える程度の高くない値段で飲めて、タイ料理、イサーン料理も食べれる店がもしあったら、大変ウケるのではないかと考え始めました。

当時、バンコクでビール醸造装置を置いている店は10ヶ所あり、どの店も似ている点がたくさんありました。つまり、殆どの場所が、高い建物の地下のスペースを借りており、金持ちをターゲットにして、1杯の値段が150バーツ以上するドイツ生ビールと高価格の西洋料理を販売してました。また多くが、外国ブランドビールのフランチャイズ契約によるもので、高いコストとなっており、生ビールが高く売られていた理由の一つとなってました。

以上の点は、フランチャイズ契約でない、自らのレシピ・醸造による、費用を抑えてのドイツ式生ビールとタイ料理を提供するとともに、タイ人向け価格で販売する飲食事業について、彼等に考えさせ始めるとともに、ティーラワタナチャイ氏は図書館に行ってビールについて研究したり、全種類のビールに関する本を買ったりして、本気で事業としての可能性を検討・調査を始めました。そして、“本格的ドイツ生ビール、タイ料理をタイ人価格で安く売り、低価格による低利益率をカバーする為、販売数量を多くする必要があり、多数のお客さんが収容可能な大型店舗による商売” というコンセプトにて、事業を起こす決心をします。

タワンデーン ジャーマンブリュワリーの始まり・開店

起業の為の準備をしていく中で、ティーラワタナチャイ氏は、店を開く場所の選定が、最初の最重要課題であると捉え、調査に非常に多くの時間を割きます。得た結論は、バンコク市内の中心部である必要と、地価が高いシーロム通り、スリウォン通り、バーングラック通りなどは不可ということでした。最終的に市内の中心部にあり、スリウォン通りから始まり東南方向に延び、シーロム通り、サトーン通り、チャン通り、ラチャダーピセーク通りを横切り、ラーマ3世通りに突き当たる、1996年に開通したばかりの新しく綺麗な、ナラティワートラ―チャカリン通りに土地を借り、店を開く事を決定しました。アジア通貨危機・バブル経済崩壊後の翌年、1998年の8月頃で、誰も投資しようとせず、地価は高くなく、良い値段で土地を借りることが出来ました。

次の問題は、Microbreweryとして必要なビール醸造装置の購入についてでした。ビール醸造装置について、ティーラワタナチャイ氏は、知識はほぼ無く、タイ国内における情報も非常に少なく、問い合わせ先も分からなかったので、ビールの本場、ドイツに行くことにしました。ドイツには、世界的な大規模イベントである、ビール祭りがあり、多くのビール関連業者がブースを出しており、そこで幸運にもタイ人の奥さんがいる、多くの国に輸出しているビール醸造装置メーカーの所有者と知り合う機会を得て、契約・購入の手配をする事が出来ました。

続いての難題は、資金の調達でした。誰もが何にも投資したくない程、経済は不調の時期でしたが、逆行して1000席もある大型レストランを開く為に、40000000バーツを投資する必要がありました。バブル経済崩壊後、殆どの各銀行は、信用貸する気はなく、誰に対しても以前と同様に金を貸しませんでした。セータシット氏と調達資金額を折半する事となり、ティーラワタナチャイ氏は、1998年に借金が無くなったばかりでしたが、新規事業の為に借金生活を再度始めることになり、金融機関に依存できない為、自分と家族の金、親しい友人からの借金により、何とか彼の責任分の資金を調達しました。

土地、ビール醸造装置の手配、資金の手配が済んだら、次の過程は建築家に店の建物をデザインさせて、建造する事です。1000人収容可能な大型レストランとしての建物ですが、建物のデザインは、遠くから見ても何を売っているか分かる、ビール樽を模したデザインに決定しました。1999年のソンクラーンの後の4/16に着工し、同年の9月に開店する目標を立てました。

また、セータシット氏が、音楽ステージが楽しめる200-300人収容可能なレストラン"タワンデーン サートセーンドゥアン・TawanDang SatSaengDuan・ตะวันแดง สาดแสงเดือน"を買収・所有していた関係で、新規事業のオープニングに向けて、該当店舗で料理とレストラン事業の研修場所として利用しました。そして、新規事業の店舗名称について、ドイツ式ビールを販売してる事を分かりやすくする為と、該当レストランタワンデーン サートセーンドゥアンの名前に因んで、タイ語で"โรงเบียร์เยอรมันตะวันแดง・ローンビアヨラマンタワンデーン"と名付けました。(โรง・ローンは大きな建物、เบียร์・ビアはビール、เยอรมัน・ヨラマンはドイツ、ตะวันแดง・タワンデーンは赤い太陽という意味。英語表記でTawandang German Brewery・タワンデーン ジャーマンブリュワリー

 また、魅力ある音楽ステージもセールスポイントとする為、セータシット氏は有名な楽団"Fong Naam"の楽団主のBruce Gaston氏と親密であった為、セータシット氏がコンサート以外では定期的に演奏してなかった楽団"Fong Naam"がタワンデーン ジャーマンブリュワリーで定期演奏してもらうように契約・取り纏めました。

タワンデーン ジャーマンブリュワリーの開店日を1999年9月10日に決定すると、建物の着工から開店までの5か月間、ティーラワタナチャイ氏は、雇用したスタッフと共に死に物狂いで働きました。

雇った本場のドイツ人のビール醸造技師(Brew Master)が、数ヶ月の長い時間ををかけて試行錯誤し、開店二日前に希望する丁度良い味のビール醸造に成功しました。

1999年9月10日、何とか開店しましたが、 当日の店の状態は惨めなもので、多くがまだ用意出来てませんでした。エアコンの設置は完了しおらず、皿を洗うにも、蛇口・シンクがまだ取り付けられてなかったし、ビールカウンターのビールサーバー係は2人しかおらず、各スタッフの訓練は不十分で、注文と会計のシステムも機能しておらず、店の周りの電線工事も完了してなかった為、お客さんが来店しても、暗い中で駐車せねばなりませんでした。また、Bruce Gaston氏の楽団"Fong Naam"は、飾り付けが終わってないステージで演奏しなければなりませんでした。しかしながら、開店当日は、2時間のビール無料キャンペーンにより、人が入りきらない程に満員になりました。生ビールの提供は間に合いましたが、事前にリハーサルしてなかったせいもあり、スタッフはテーブル番号を正確に覚えておらず、料理を間違ったテーブルに運んだり、勘定が出来なかったり、勘定するまでに時間がかかり過ぎたため、実際に支払わずに帰った客もありました。開店初日、勘定・集金できなかった金額は合計200000バーツ、午前2時に閉店、開店初日の全てが終わった時、集金出来た金額は、わずか10000バーツでした。

その後しばらくは、満員の初日の様に来店者数は多くなく、1週目の収入は、平均1日2〜3万バーツで、1000席あるところ、来店者数は100人強でしたが、ティーラワタナチャイ氏とセータシット氏は、店が生き残れると信じ、投資額を返済するのに3年は必要だろうと考えました。

1ヶ月少し過ぎると、来店者数が日々増えだし、並んで待つお客さんが出る程になり、特に金曜と土曜日は満席になりました。良いビール、美味しい料理、リーズナブルな値段の噂が広まり、並んで待つお客さんが継続的に増え、タワンデーン ジャーマンブリュワリーに行くなら、1週間前、時には1ヶ月前からから予約する必要があると評判になりました。開店当初は、この様なビジネスは、2年以上はもたないとか、3~4年しかもたず、人気が落ちて閉店するだろうと分析する人もいましたが、それから20年を経て、タワンデーン ジャーマンブリュワリーは人気を保ち続け、ラーマ3世本店、ラムイントラ店、チェーンワッタナー店の3店舗に拡大し、今日に至っています。

ティーラワタナチャイ氏は以下の様に述べてます。

“新しく店をオープンした際、私は約70%の自信しかなかった。しかし、3つの信念とともに歩み続けた。

信念の1つ目は、勝利の気持ち。何故なら、多く負けてきたから。

信念の2つ目。我々は市場を理解し、十分に市場のポイントを把握していると信じている。タイ人は計算高い。外食にいった際、例えば、ソムタムを食べに行ったとして、値段が60バーツもして高く感じたら、40バーツで売っている他の店に食べに行った方がいいと言うだろう。タイ人は自身で意識してないが、データに細かく、計算高い。もしあなたが、タイ人をあなたの店に行くことに価値があると思わさせたなら、彼らはあなたから物を買うだろう。しかし、タイ人をあなたの店に行くと損すると思わさせたなら、彼らはあなたから物を買わないだろう。自身に利益があると、タイ人に思わせる事は、中間層に対するビジネスの基本と思う。

信念の3つ目。よく知り、よく考え、よく学ぶ。マーケティングにおいて、偏見を抱かず、自問自答をよくする。我々は、ビールを1杯100バーツ、1リットル200バーツで売っているが、お客さんに受け入れられるだろうと信じている。何故なら、一般のビアガーデンは、1リットル120~160バーツで売っているが、我々は、お客さんにメリットをもたらす幾つかの点がある、楽団"Fong Naam"によるエンターテインメント、良心的な値段で価値ある料理、そして、一般的なビアガーデンより、美味しいビールである。お客さんは、少しだけ私達にお金を追加してくれれば良く、ここでお金を使うことで、お客さんは満足を得るだろう。"

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タワンデーン ジャーマンブリュワリーのこだわり・ポリシー

ビールの本場のドイツ人ビール醸造技師が生み出す本格的ドイツ式生ビール

タワンデーン ジャーマンブリュワリーのビールの原料は、水を除いた、全原料は、ドイツから輸入しています。

ビールの製造は、モルト運び、砕き、水を満たした釜に入れ茹でて沸騰させることから始まり、昔は、熱伝導が良い銅の釜が好んで使われましたが、値段が高い為、現在は、代わって、ステンレスの釜が好んで使われてます。しかし、タワンデーン ジャーマンブリュワリーでは、今だ銅の釜を使用してます。

パスチャライズ(低温殺菌加熱処理)のプロセスを経ずに、イーストによる発酵・熟成した生ビールは、賞味期限が短く、空気に触れさせて放置しておくと、24時間経たない内にダメになってしまいますが、味・香りが非常に良く、イーストを殺した、パスチャライズのプロセスを経た瓶ビール、缶ビールや多くのビアガーデンで提供されるビールは、イーストを殺すとことにより、常温・長期保存が可能となるも、味は生ビールに敵いません。

タワンデーン ジャーマンブリュワリーでは、開店当初から仕事をしている、本場のドイツ人ビール醸造技師(Brew Master)が、ビール製造工程の全てを丹念に管理しており、ドイツから直輸入の原料の品質とパスチャライズのプロセスを経ずに、約3週間の熟成後に販売するビールの新鮮さと美味しさが、多くのお客さんを魅了してます。

(注:現在は、技術の向上により、瓶ビール、缶ビールもパスチャライズ処理をしないビールが多数を占めるようになってきているとのことです。)

料理の味の基準化・こだわり

タワンデーン ジャーマンブリュワリーが開店してから9年経ち状況が落ち着き、自由な時間を持て始めた時、ティーラワタナチャイ氏は、料理に関する様々な事について、知識が十分でなく、事業を発展させる為に知識を増やす必要性を感じた為、2ヶ月程のプロのタイ料理のカリキュラムを受けにドゥシタニ専門学校に行き、タワンデーン ジャーマンブリュワリーの料理部門を改革します。

それまでは、料理人の経験・慣れ、感覚に任せて味付けの分量等を決めていましたが、計量スプーンの使用、ミリリットル単位での計量単位を採用、同一メニューにおいて、出来上がる全ての料理が同じ味になるように、またコスト管理も徹底出来るように各メニューのレシピを作り、管理するようにしました。また、熟練さを必要としない幾つかの料理は、料理を早く提供可能にさせるため、複雑でなく、時間をかけないようにし、作業工程を少なく、より簡単に構成することを試みました。

ティーラワタナチャイ氏は料理の味について、以下の様に述べてます。

"料理が、美味しいか、否か。各国毎の人の舌の価値である。また、お客さん、一人一人に味の好みがあり、食べる事については、同じではない為、我々は、お客さん個別の意見には追従しないが、我々は、タイ人も美味しく感じ、多くの国の人が美味しいと受け入れてくれるように、料理する努力している。料理の味の重要な核心は、味が美味しいか、美味しくないかを誰が決めるかということである。料理人は、味付け、多くの種類の料理を作る義務がある。しかし、多くの料理人の弱みは、自分が作った料理が美味しいか、美味しくないかを全く分からないことである。しかし、店主は、味を判断・決断する責務があり、料理が美味しいか、美味しくないかを伝えねばならない。成功する店の店主は、本物の食通であり、もし店主が、店の料理について、美味しいか、美味しくないかを分かってないとしたら、店は必ず倒産する。この点が、料理店が倒産するか、否かの重要なキーである”

食材について

タワンデーン ジャーマンブリュワリーは、食材を注文する各生産業者について、定期的に配送できるか否か、毎日注文しても、品質は変わらず良いかということに留意してます。

また、様々な生産品の年間の莫大な購入量により、タイの農家を助けるのに貢献しており、例えば、人気のあるヒットメニュー、魚醤のキャベツ炒めは、キャベツを68トン、イエンタフォーの具だくさんスープは、タイ空心菜を48トン、蓮の芽を使うメニューは、蓮の芽を4.5トン、焼飯やソムタムに入れる緑ライムの数量は、130000個、更に黄ライム は、230000個使用し、全種類の唐辛子は合わせて、約10トン、豚足やソーセージ盛り合わせに付け合せる、マッシュポテトの原料に使われるジャガイモは、24トン使用します。

こだわりの厨房設備

ティーラワタナチャイ氏は、ドゥシタニ専門学校で学んだ際、良い厨房の基準や各設備の機能の知識についても掘り下げました。例を挙げると、床や天井はどうあるべきか、適切な温度、冷蔵庫の温度管理、何が右手にあって、何が左手にあるべきか、食料の良い保存方法、衛生についてなどです。学んだ知識を基に、衛生的であり、また迅速に料理をを提供できるように厨房の基準を設けるとともに、厨房の大改修を行いました。

排気システムの取り付けと厨房は各部門毎に大調理室、和え物場、焼き物場、揚げ場、に分割しました。また、タイ料理の厨房は、外気が入るようにして閉め切るべきではなく、キッチン内の室温を下げ、従業員を働きやすくする為の冷気供給システムを取り付けました。衛生的になるように床や排水溝システムの改修や、掃除した際に汚れが飛び散らないようにオーブンの高さのレベル、各棚の高さのレベルの調整なども行いました。

大改修を行い、厨房の基準を新たに設けたことは、料理人、他従業員に、プロとしての料理の仕事のシステムを学習させ、厨房内の仕事と厨房外の仕事の間の連携をより効率的にしました。厨房の広さは240平方メートルとなっており、豪華ホテルの大厨房と変わりはなく、清潔で白い制服を着たシェフ、調理補助の50人以上の腕で作られる料理を生み出す場所となってます。

他では見れない、Mr.Bruce Gaston・Fong Naam楽団による音楽・ステージショー

タワンデーン ジャーマンブリュワリーの魅力は、美味しいビール、料理の味はもちろん、他の店にはない、特別なEntertainment・ステージショーがあります。

 タワンデーン ジャーマンブリュワリーの全3店の荘厳華麗なショーは、音楽家・作曲家であり、楽団"Fong Naam"のリーダー・指揮者である、Bruce Gaston 氏による、デザイン・管理によるものです。Bruce Gaston 氏は、アメリカの音楽家であり、音楽理論、作曲、哲学の領域を卒業しました。22歳から、タイで生活をしており、ブンヨン・ゲートコン先生の下で、タイ楽器の研鑽を積み、1979年に楽団"Fong Naam"を立ち上げ、また2009年に外国人としては初の芸術賞・シラパートーン賞(รางวัลศิลปาธร、Silpathorn Award)を受賞してます。 タワンデーン ジャーマンブリュワリーにおいては、Entertainment Directorの地位にて、設立初年度から仕事をしています。

(楽団"Fong Naam" Facebookページ:https://www.facebook.com/FongNaamBand/

( Bruce Gaston - "ฟองน้ำ ทวนน้ำ" FongNaam Celebrates 33 Years of Thai Contemporary Music Works vol.1) 

楽団"Fong Naam"は、西洋とオリジナルのタイの音楽をミックスしたスタイルを特徴に持つ、美しくて楽しい、演奏により有名で、長年にわたり、高い支持を得ており、しばしばコンサートを開いてましたが、タワンデーン ジャーマンブリュワリーがオープンするまでは、かつて定期的な公演はしてませんでした。また、楽団"Fong Naam"は、モーラム、ルークトゥンなどの各種のタイの曲、インターナショナルな曲、クラッシック、そして映画のサウンドトラックとあらゆるスタイルの曲が演奏出来るのも特筆すべき点です。

また、タワンデーン ジャーマンブリュワリーでは、お客さんの為に映画のサウンドトラックを生演奏した、タイで最初のレストランで、カットした映画の映像をレンタル、上映し、丁度カットした映画の映像の曲の歌詞とその曲の音として同時に楽団"Fong Naam"が演奏して進行させるというパフォーマンスも目玉にしました。例えば、スターウォーズ、タイタニック、ミッションインポッシブル、ジェームズボンド007、ゴジラ、マグニフィセントセブンなどであり、Bruce Gaston 氏は新しいハーモニーを編集し、演奏するのに多くの楽器を使いました。楽団"Fong Naam"が、このスタイルで映画のサウンドトラックの演奏し、大きなスクリーンで映像を流すスタイルは、他の場所では見れない為、お客さんに大いに受けました。そして、開店してから、3年目に入ったところで、よりお客さんを魅了する為に、Bruce Gaston 氏の監督により、ブロードウェイのミュージカル、Musical Theaterから応用したステージショーで構成されたミュージカルを行うようになりました。

通常、ステージは19:00頃に始まり、軽く、ゆっくり、少ない数の楽器で、ジャズ、フォークソングなどの演奏を始めます。そして、20時頃より、楽団"Fong Naam"全メンバーによる、良く知られたポップス、ルークトゥン、インターナショナルミュージックなどの楽しい曲を演奏し始めます。21:00頃に1セットの長さが、3~4分のミュージカル、5セットを公演し、22:00頃を過ぎると、より早い曲の演奏を始め、リズムは、賑やかに鼓舞し、インターナショナルミュージック、タイミュージックが入り交じり、多くのお客さんが踊り出す時間になります。

また、タワンデーン ジャーマンブリュワリーでは、様々な有名音楽アーティストを招きコンサートを行ってますが、コンサートチケットの現行価格は200バーツであり、他の場所でのコンサートのチケット価格と比べたら安くなっており、値打ちがあります。

ティーラワタナチャイ氏はステージショーについて、以下の様に述べてます。

Bruce Gaston 氏については、音楽において大変すごいと認めなければならない。他の店が成し得ない、多くのミュージカルを監督し、成功した。Bruce Gaston 氏は、大抵の曲は難しいと言っていたが、彼はメンバーが本当に良く演奏出来るように監督し、お客さんから、良い反響を得た。他では無理だろう。バレーダンサーが、宙に飛んで空中で手をつなぎ、回転するのをレストランで見たことがある?タワンデーン ジャーマンブリュワリーを除いて、タイ国内のどのレストランでもその様なショーを見れない。つまり全て、ハードワークから生まれたのである。

過去において、多くの投資家が、生ビール、各種ショー、多くの事で、タワンデーン ジャーマンブリュワリーと競争すべく、ビアレストランを経営しようとしたが、殆どが生き残れなかった。タワンデーン ジャーマンブリュワリーを追従するなら、絶対成功しない。何故、彼らが倒産したのかというと、詳細に気を払わず、自分というものがなく、未だ探し当ててない自身を探しているのだ。我々には、ビールの味、料理の味以外にも、他の店にはない、誰も出来ないプレイリストがあるエンターテインメントを作りたいという意志がある。"

心からのサービス

お客さんが、タワンデーン ジャーマンブリュワリー店内に入ると、手を挙げて合掌するように、スタッフは訓練されてます。

お客さんへのサービスにおいて、大事な原則は、料理と飲み物が速く提供されることですが、配膳を担当するスタッフは、サービスにおいて、5つの原則を持ってます。 1.挨拶 2.紹介 3.復唱・確認 4.巡回 5.感謝

  • 1. 挨拶 店内入り口のお客さん迎え入れ担当スタッフが、お客さんを座席に案内したら、配膳担当スタッフが、明るくニコニコした顔でお客さんへ挨拶しに来ます。
  • 2. 紹介 配膳スタッフは、自身がお客さんのテーブルにサービスする義務がある事を伝え、料理・飲み物・各種のプロモーション価格・アクティビティ・ステージショーの詳細を紹介します
  • 3.  復唱・確認  お客さんが料理と飲み物をオーダーしたら、配膳スタッフは、お客さんが注文した内容に間違わないように復唱します。料理と飲み物がお客さんのテーブルに運ばれた後、配膳スタッフは料理が全部揃ったかを確認します。また、時間がかかる魚の蒸し物や焼き物などを除いて、オーダーを受けてから、10分以内に料理をお客さんのテーブルに届けるように努めており、10分以内に料理が揃わない場合、急いで確認・対応します。
  • 4. 巡回 配膳スタッフは、お客さんが注文した料理が揃っているかを確認し、料理と飲み物の味はどうかをお客さんに尋ねます。また、こまめに飲み物を注ぎ足しに行き、適宜、紙屑・ゴミを回収、テーブル上の不要となった食器なども、迅速に片付けし、皿が汚れていたら、すぐに取り換えます。そして、心がけて飲み物を注ぎ足し、お客さんから呼ばれる前に、料理や飲み物を追加するかについて伺います。
  • 5.感謝  合掌して挨拶し、ニコニコした顔で毎回、感謝するとともに、再度サービスを利用してもらえるように案内します。

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タワンデーン ジャーマンブリュワリー ラーマ3世通り本店の様子

自分がタワンデーンジャーマンブリュワリーに行ったのは、2007年にラーマ3世通り本店に行ったのが初めてで、どでかい店だなというのが第一印象でした。以降ラーマ3世通り本店には、たまに行きますが、他店については、ラムイントラ店は1回だけ行ったことがあり、チェーンワッタナー店は通り過ぎただけで、入店したことがありません。

先日、2019年のクリスマス前に、久しぶりにタワンデーン ジャーマンブリュワリー ラーマ3世通り本店に行って来ました。

タワンデーン ジャーマンブリュワリー ラーマ3世通り本店の場所・行き方

公共の交通機関で行く場合、一番簡単な方法は、BTSでBTSチョンノンシー駅まで行き、BTSチョンノンシー駅から、BRTに乗ってBRT Nararam 3駅まで行くと駅のすぐ側にタワンデーン ジャーマンブリュワリー ラーマ3世通り本店があります。

チョンノンシーからのBRTのルート、BRT Nararam 3駅)


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今回は、ラーマ4世通り、サトーン通り、スアンプル―通り、ナンリンチー通り、ラーマ3世通りを走行しているソンテウ1240が、タワンデーン ジャーマンブリュワリー ラーマ3世通り本店も通過するので、ルンピニー公園前から、ソンテウ1240に乗って行ってみました。MRTシーロム駅のルンピニー公園側の出口付近やMRTルンピニー駅のサトーン通り側の出口付近から、ソンテウ1240に乗れます。また、ルンピニー公園のラーマ4世通り側のバス停も、ソンテウ1240の乗り場所としては便利です。

ソンテウ1240のルート、上記のソンテウ1240の乗り場所の例)


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 ソンテウ1240の車体に、行先として、タイ語でโรงเบียร์(ローンビア)と書いてます。


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 ソンテウ1240は、ルンピニー公園方面から来た場合、ラーマ3世通りに入ってしばらくしてからUターンして、タワンデーン ジャーマンブリュワリー ラーマ3世通り本店横を通り過ぎますので、ベルを押して降りたら、ラーマ3世通り側の入り口から入れます。


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 タワンデーン ジャーマンブリュワリー ラーマ3世通り本店の外観と店内の雰囲気

クリスマス前ということで、綺麗に電装装飾されてました。

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 外壁に掲げられた、タワンデーン ジャーマンブリュワリーのロゴです~

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日本愛好家に選んで食べてもらうのに、日本料理を提供する夕焼け寿司バーが併設されてます。寿司、刺身メニュー、各種魚の丼ものだけでなく、たくさんの他メニューもあります。使用されるノルウェー産の生サーモンは、年間17トンになるとのことです。


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 店内への入り口です。スタッフの方が、気持ちよく挨拶してくれます~

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 店内では、2個の大きな銅製のビール釜が迎えてくれます~

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ビール樽を模した建物の内部の部分が天井高くなっており、空間を広く感じさせます。


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 二階の座席部分です。周囲を囲む様に設置されており、手前側は、一階ステージを見下ろせるようになってます。

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一階のステージを遠目から見た感じです。

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タワンデーン ジャーマンブリュワリーのビール・料理

 壁に掲げられているお勧めメニューです。

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メニューの中身の一部です。


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ビールは5種類あり、各サイズのグラス・ジョッキからタワーまで、容量の選択肢が豊富です。


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下戸の妻と二人で行ったので、自分だけビールを注文します。まず、定番のLAGER、1リットルを注文。妻は、ライムジュースのシェイク(ナームマナオパン・น้ํามะนาวปั่น)を注文。LAGER、いけますね~~~~


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 二人だけなので、料理は少しだけ注文。人気メニューの一つの蓮の芽の豆醬炒め(ライブアパットタウジイアウ・ไหลบัวผัดเต้าเจี้ยว)と プラ―ラーククルアイという小魚(通称:ホースフェイスローチ)の揚げ物(プラ―ラーククルアイトート・ปลารากกล้วยทอด) タワンデーン ジャーマンブリュワリーで提供される料理は、個人的に、いつも満足度が高いです~ また、大勢で行くと色々注文出来て、より楽しいですね~


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揚げ空心菜の和え物(ヤムパックブントートクロープ・ยำผักบุ้งทอดกรอบ)と豚皮のカリカリ焼き香港スタイル(ムーヤーンナンクロープホンコン・หมูย่างหนังกรอบฮ่องกง )


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 土曜日でしたので、一応ステージ近くの座席を予約しておきました。

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 LAGERを飲み終わったので、黒ビール・DUNKELを注文。凄く飲みやすいです。別のお客さんは、黒ビール・DUNKELのタワーを注文してました。まあ、自分も酒飲みの知人と来ると、二人でタワー4本程は飲んだりしますが~~


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黒ビール・DUNKELの後は、初めて飲んだのですが、ROSE BEERを注文。新しく追加されたROSE BEERは、開発に14ヶ月程かけて作り上げたそうですが、味が非常に甘くて、個人的には✖でした。甘めの味のアルコールが好きな方にはいいかもしれません。また、料理は、揚げ湯葉5味(フォーントウフトートハーロット・ฟองเต้าหู้ทอด5รส)を追加で注文しました。


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ステージ・ショーの模様など


当日は、19:00前に入店しましたが、19:00頃から歌手がステージで歌い始めました。
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19:30過ぎから、Bruce Gaston 氏と楽団"Fong Naam"による演奏が始まりました。スクリーンに映っているのが、Bruce Gaston 氏です。
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昔売れっ子であったという、ベテランシンガーChantana Kittiyapan(ฉันทนา กิตติยพันธ์)のステージが始まりました。木金土と定期出演してるみたいです。
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 21:00頃から、アクロバティックなパフォーマンスを含んだ舞台が始まりました。

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舞台パフォーマンス終了後は、歌手のステージが引き続きます~
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誕生日の人が含まれているグループ客が、盛り上がってます。事前に店側に伝えておくと、誕生日や記念日のために、フルーツ盛り合わせがサービスされ、スタッフによる歌や看板で祝ってくれるみたいです。
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19:00頃は、未だ空席が目立ちましたが、20:30頃には満席状態になりました。
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22:00頃になると、多くのお客さんも酔いが回り始めてイイ感じになり、立って踊り始めます~~
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スポット・ティーラワタナチャイ氏(สุพจน์ ธีระวัฒนชัย)の半生記『เมื่อความจนเฆี่ยนตีผม』(ムアクワームジョンキイアンティーポム:貧困が私を鞭打つ時)を、自分はブックフェアで購入しましたが、店頭でも紹介、販売しておりました。因みに、ブックフェアで該当本を購入した際、価格は店頭販売と同じく160バーツで、また店舗での飲食15%の割引券が貰えました~

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まとめ

スポット・ティーラワタナチャイ氏(สุพจน์ ธีระวัฒนชัย)が、タワンデーン ジャーマンブリュワリーを立ち上げる事になった経緯や成功するまでや氏の半生などについて、氏の著書『เมื่อความจนเฆี่ยนตีผม』(ムアクワームジョンキイアンティーポム:貧困が私を鞭打つ時)を基に書いてみました。タワンデーン ジャーマンブリュワリーに通い出して以来、ドイツビールを売りにしているのに、何故タイ料理が大半を占めて、パブにある様な典型的な西洋料理が少ないのか、凄く不思議に思っておりましたが、氏の著書を読んで、そもそも店のコンセプト自体が、"ドイツビールとタイ料理を提供する"という事が分かって、腑に落ちました。

なお、タワンデーン ジャーマンブリュワリーの共同出資者・事業パートナー、サティアン・セータシット氏(เสถียร เศรษฐสิทธิ์)は、有名バンドCarabaoのリーダー、Aed Carabao(แอ๊ด คาราบาว)の友人であり、またエナジードリング、カラバオデーン・คาราบาวแดง(Carabao Energy Drink)でお馴染みのCarabao Group(CBG)の出資者・取締役会長でもあり、タイの大富豪の一人です。なお、現在タワンデーン ジャーマンブリュワリーの事業は、Carabao Group(CBG)の管理下の事業となっており、セータシット氏は、タワンデーン ジャーマンブリュワリーの名称の基になった、タワンデーン サートセーンドゥアンの一号店クロンタン店(สาขาแรกคลองตันを買収・所有してましたが、現在、タワンデーン サートセーンドゥアンは、タワンデーン マハソンと名称を変えており、チェンマイやチェンライ、コラートなどに店舗があり、クロンタン店はないようで、タワンデーン ジャーマンブリュワリーとは特に関係ないみたいです。

参照:https://bit.ly/2X1OCak       

           https://www.posttoday.com/life/healthy/374197 

           https://tawandang-mahason.com/

           https://bit.ly/2WYM2Sp

 タワンデーン ジャーマンブリュワリーは、1999年にラーマ3世通り本店、2005年にラムイントラ店、2015年チェーンワッタナー店をオープンし、現在タイ国内では、計3店舗が営業してますが、以前は海外進出もターゲットに入れ、シンガポールやカンボジアにも進出し、好評だったようですが、撤退してしまいました。また現在、ティーラワタナチャイ氏は、規模を縮小した飲食事業に注力しており、チョンブリー県にThe German Tawandang Angsilahttps://www.facebook.com/germantawandang1/)という新規形態の店舗もオープンさせております。

参照:https://www.thansettakij.com/content/411496

   https://www.thebangkokinsight.com/174954/

日本からタイに旅行に来た知人をタワンデーン ジャーマンブリュワリーに連れて行くと、日本に同様の店・施設が無いので、皆大変感激します。自分もたまに行って、ビール飲みたくなるんですよね~。タワンデーン ジャーマンブリュワリーに行った事が無い方は、バンコクに来る機会があれば、是非一度行ってみて下さいーー!! 

 【タワンデーン ジャーマンブリュワリー(Tawandang German Brewery・โรงเบียร์เยอรมันตะวันแดง)】

ホームページ   :http://tawandang.com/

Facebook       :https://www.facebook.com/tawandang/

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